知識の詰め込みはなくならない
アクティブラーニングやプロブレムベースドラーニング(PBL)など、
日本の教育は受動的な教育から、能動的な教育に変わろうとしています。
今までの一方通行型の知識伝達型から、
知識を生かして実践につなげる教育への転換です。
例えば、日本の歴史について年号や史実を学ぶのが今まで。
沢山の史実から、『市場が活性化する共通性』を各自で、みんなで考えて発表するのがこれからの教育です。
さて、ここで勘違いされがちなのが、
知識詰め込み=「悪」という考えです。
これは、間違いだと思います。
なぜなら「知識」がなければ、質の高い創造もディスカッションも発信も出来ないからです。
ある御三家の校長先生がおっしゃっていました。
「知識は重要です」
やはり知識の詰め込みは必要なのです。
ただし、この知識の詰め込みが、一昔前よりも断然に効率化したことは事実です。
これは、Youtubeに代表される動画技術の発達でイーラーニングが可能になったからです。
これにより、知識は金銭的にも時間的にも効率よく習得できるようになりました。
今までであれば塾に通ったり、予備校に通って、一定時間授業を受けなければならなかったものが、
好きな時間に動画を見て、理解している箇所は「飛ばす、早送り」することも出来るのです。
ですから、ここで削減された(余った)時間を、能動的教育に充てることが出来ます。
(ただし、本物の知識習得はやはり書物による独学だと思います。このことはまたどこかで書こうと思います。)
どんなにインターネットの検索機能が上がっても。
知識を人が知っていなければ、検索自体をすることが出来ません。
知識の詰め込みはなくならない。これは時に苦しい作業かも知れませんが、
知識を詰め込む代表格である受験勉強は、今後も必須なのです。
難関といわれる中学では、昔からアクティブラーニングが行われています。
なぜこれが可能かといえば、中学受験で分厚い知識を得た小学生が入学してくるからです。
逆に知識のない議論ほど、浅いものはありません。
レベルに応じて、受動型、能動型教育の比率は変わるのです。
活発な議論の基盤には、知識の詰め込みがあることを忘れてはいけません。